五月荘,の歴史

わが国有数の軍港として栄えた呉市において、海軍さんの間でも五月荘の歴史は語り継がれています。自衛隊内に残る記録文書には「十三丁目の飲み屋も華やかだが、士官の飲み屋は所轄長以上が華山(フラワー)、佐官級が吉川(グッド)分隊長級が徳田(ラウンド)ガンルームが岩荘(ロック)…。ところが、潜水艦一家は団結が固く、上下とも五月荘(メイ)を利用することが多かった」と海軍さん独特の隠語での記述があり、今では姿を消した当時の名店の中でも特に愛されておりました。その裏付けとして 「日露海戦海図」や「大東亜共栄圏地図」、「軍艦陸奥ノ図(大正十四年発行)」「元海軍大臣・海軍大将 嶋田繁太郎 直筆の書」など貴重な資料を所蔵しており、一部は大和ミュージアムに寄贈しております。

1901年 明治34年

現在地にて五月荘の営業を開始。
初代店主 井口清吾 初代女将 井口美喜野
海軍さん御用達のお店として沢山の人達に愛されていった。
初代は口数こそ少なかったが威風堂々としていて、不言実行!官公庁など誰からも慕われる存在だった。

1918年 大正7年

天応海水浴場の営業を始める。
旅館や娯楽施設など少しずつ施設を整備し、敷地も拡大。
夏期には1日平均1500人が訪れ、安芸浜崎駅(現 呉ポートピア駅)が特別に設けられるなど、中国地方で一番の海水浴場となって賑わった。

  

1945年 昭和20年

呉軍港空襲により、五月荘は全焼してしまう。
しかし初代は諦めず、全焼からわずか2年で営業を再開。
3年間は仮設の建物で営業をし、新たな五月荘の建設を始める。
五月荘にも呉の街にも活気が戻り始める・・・そんな時
初代店主 井口清吾が急死。
 

1950年 昭和25年

悲しみの癒えぬまま井口秀夫が二代目に就任。新たなスタートを切る。
二代目店主 井口秀夫 二代目女将 井口カナヨ
代目は白黒はっきりつけたい性格で少し短気なところもあったが、初代同様誰からも頼られていた。
最初は苦しいスタートとなったが二代目夫婦の努力はもちろん、好景気にも支えられ徐々に軌道に乗っていく。

1960年 昭和45年

たくさんの人に支えられ、二代目 井口秀夫‐退任‐
三代目に引き継ぐ。
三代目店主 井口秀一 三代目女将 井口義子
初代、二代目に負けない努力で45年間、五月荘を守り続けてきた。
就任から3年後には、今の建物に建て直し、海軍さんの料亭として呉の人達に愛され続けた。

2016年 平成28年

三代目から創業115年の歴史を引き継ぐ。
 2016年2月3日 リニューアルオープン
「旬の料理とおもてなしの心」を大切にし、
 何度でも足を運んで頂ける五月荘、を目指し、日々精進してまいります。
 
四代目店主 池田 佳幸 四代目女将 池田 聖子 

調度品・所属品

 
創業当時のロゴ
 
日露海戦海図
 
海軍使用のイカリマーク付電球(マツダ製作)
 
海軍使用のイカリマーク付電球(マツダ製作)
 
日露開戦の凱旋記念の杯(金属製)
 
大正15年6月10日発行 潜水艦活躍之圖
 
呉花街案内 昭和10年国防と産業博覧会用ガイドブック
 
呉花街案内 昭和10年国防と産業博覧会用ガイドブック
 
勇士の辞世の句
 
初代 水谷八重子のサイン
 
昭和17年大東亜戦争画報
 
昭和12年支那事変画報
 
大日本帝国軍艦寫眞總覽
 
大日本帝国軍艦寫眞總覽
 
大正14年6月15日発行 軍艦陸奥
 
大正14年6月15日発行 軍艦陸奥
 
大正13年東宮御成婚記念 日本交通分縣地圖
 
嶋田繁太郎 弔辞